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2009年02月25日

●バカって言ったら自分がバカ

 こんなフレーズ、子どもの頃、よく使いませんでした?

 で、今思うと、これはなかなかの真理ではないかと。というのも、一つ前のエントリーで書いた、村上春樹氏のエルサレム賞受賞に関して、パレスチナ問題を詳細に取り扱っているサイト経由で読んだあるブロガーの方の記事の冒頭に、……「アホどもへ」という文章が合ったからなんです。

 正直言って私は、パレスチナ問題について無知なのですが、氏の行動やスピーチについて色々な意見があることは当然と思っています。私が好むものも好まないものもあるでしょうし、それを表明すること自体に問題があるとは考えていません。そして、これは勝手な私の解釈ですが、この方がアホどもと罵倒した背景には、筋違いあるいは理解不足あるいは理解しようとしていない脊髄反射的な書き込みがたくさん有ったのだとも思います。ただ、受賞前からスピーチを読んだ後の記事とコメントを一つずつ読み進めていくと、この方の言いたいことは、伝わって来ました。なのでなおさら、なぜ「アホども」という表現を使わなければならなかったのかが、気になってしまい、本記事のタイトルがふと浮かんだのです。

 あおらないと相手の本音が出てこないという経験や、こっちがまじめに訴えているのにそれを違う土俵から斜めに見て茶々を入れられる経験は、私にもささやかながらありますし、それを何とかしたいと思って、挑発的な表現を使ったことも多々あります。ただ、この方は文章を読む限りでは、非常に論理的であり、言いたいことを伝えられる文章を書かれているので、ならばなぜ、わざわざあおるのかなと言う疑問も浮かびます。

 となると、これは深く考えられた、いわゆる「釣り」なのでしょうか。もしかしたら、そうなのかもしれません。というのも、スピーチ後に、この後は私たち一人ひとりが、どう考えて行動するかが大切だということや、この問題に何かしらの結着が着いた訳ではないというようなことを書かれていますし、おそらく私も、このアホという言葉がなかったら、ここまで長いブログとコメントを読み続けることはしなかった可能性が高いからです。

 ただ、パレスチナ問題に詳しい方は、そのスタンスで意見を述べられるでしょうし、村上春樹に詳しい方は、やはり村上春樹作品から得ているスタンスで、意見を述べたくなります。読んでいないからわからないというような言い方が適切ではないのは十分わかりますが、だからといって、わざわざその「アホ」にのる必要があったのかなあという疑問は、今もなお残っています。

 それと、これは全く別の方の別の記事ですが、村上春樹へのメッセージを届けるという記事に、コメントとして色々と書かれているのですが、その中に「一冊も読んでいない」とか「この行動如何で全て捨てる」とか、わざわざ一筆入れている方がいて、私はそれは不適切だと感じます。作品は作品、作者は作者というのが、私の考え方であり、極論すれば、イスラエルを支持すると明確に発言したからといって、それを理由に作品を否定することは出来ません。あくまでも、私の意見ですが。そんな捨て台詞を吐かずに、行って欲しくない気持ちを個人の立場で伝えれば良いのになあと、心から思いました。

 ネット上で議論するというのは、難しいですね。でも、文章に残るので、冷静に読み直したり、また色々な人が加わってくれたりする利点もありますね。そんな当たり前のことを、改めて感じたシーンでした。

 あと、わからないんですけども、少なくともこれだけの情報がある社会の中で、また、村上春樹がどのような作品を執筆していて、どういうスタンスで活動していて、しかもあのスピーチの内容を聞いて、それでもなお、

イスラエルがあたかも「社会における個人の自由」を尊重している国であるかのようなイメージが、メディアを通じて流布されることになります。
パレスチナの平和を考える会 エルサレム国際ブックフェア参加と「エルサレム賞」受賞に関する村上春樹氏への公開書簡より

んですかね?その辺が、私にはどうしてもピントこない。受賞したら私は村上春樹氏がそういうイメージを持っていると思いますよという話なら、わからなくもないんですが、そうなのかなあ。個人的には、そう簡単に決めつけられる問題でも無いと思うんですが。また、それこそ氏の作品もよまず、あのスピーチも吟味せず、ただ授賞式に行ったら×と決めつけてしまうと、そういう脊髄反射こそ「バカ」じゃないのと言いたくなったりして、結局同じ穴の狢な訳ですが……。

 最大の問題は私の無知にあるのでしょうが、色々考えました。私は、もし何かの問題を不特定多数に訴えたいのであれば、出来るだけ丁寧な言葉を使いたいなと思います。酷い誹謗抽象的な書き込みをされたら、別に逃亡と言われようがなんであろうが、スルーしてしまうかもしれません。あくまで訴えはキャッチボールで有るべきでしょうし、普通に投げ返すつもりの無い人と、キャッチボールは成立しないので。

 とかいいながら、ついつい日常レベルでは感情的に爆発しそうになるんで、そっちを気をつけなきゃですね。お後がよろしいようで。

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